2016年6月1日水曜日

史料 その十五  曽我物語に見る天野遠景

日本古典全集所収「曾我物語」の巻第一、頼朝伊東の館にまします事。この項を紐解くと、天野藤内の名を見出すことが出来る。
合掌。


是れを間きて、三浦、鎌倉、土肥次郎、岡崎、本間、渋谷、糟屋、松田、土屋、曾我の
、思ひ思ひに出立ちける程に、近の侍聞きへ、「我も如何でかるべき、いざや参らん」とて、相撲には大庭が舎弟三郎、俣野五郎、こし十郎、山内瀧口太郎、同じく三郎、海老名源八、荻野五郎、駿河には竹下孫八、合澤禰五郎、吉河、船越、入江の人、伊豆には北條四郎、同じく三郎、天野藤内、狩野藤五を始として、宗徒の人五百人、伊豆の伊東へぞ参りける。



 曾我物語(日本古典全集刊行会1929)

 曾我物語(日本古典全集刊行会1929)

曾我物語(日本古典全集刊行会1929)



補遺
御橋悳言著作集三に収録された「曾我物語注解」では、以下のように記されている。優れた先達の学恩に心からの感謝を捧げる。
合掌。


これを間きて、三浦、鎌倉、土肥次郎、岡崎、本間、渋谷、糟屋、松田、土屋、曾我の
人々、思ひ思ひに出立ちける程に、近の侍聞きへ、「我もいかでかのがるべき、いざや参らん」とて、相撲には大庭が舎弟三郎、俣野五郎、こし十郎、山内瀧口太郎、同三郎、海老名源八、荻野五郎、駿河には竹下孫八、合澤禰五郎、吉河、船越、入江の人々、伊豆には北條四郎、同三郎、天野藤内、狩野藤五を始として、宗徒の人々五百人、伊豆の伊東へぞ参りける。


天野藤内 天野藤内遠景を云ふ。藤原憲九代の孫景光の子なり。景光伊豆田方郡天野にし、在名を以て氏となし、内人となりて天野藤内と云ふ。遠景又内舎人となれり

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