2016年6月14日火曜日

史料 その十八  古事談に見る天野遠景

古事談の第四勇士の項に、遠景入道の名を見出すことが出来る。
以下、当該箇所を、テキスト表示した。

合掌。

鎌倉にて庄司次郎・稲入道など被之時、稲の舎弟ゆの七郎と者、遠景入
許に出来りて云、己被結悪縁、不可免其難。雖須自害、年来有往生極楽之
自害は臨終正念、恨不如本意聞被頸之者不往生伝々。依之御房
のみこそ令哀憐給はめと、所参向也。可然者向西方合掌、唱念佛之間、可刺殺
伝々。遠景随喜悲泣申事由、濱行きて刺殺の處、十二刀まで一切の聲
休。千時止念佛云、猶可死之心にもせぬ也。心先を可刺伝々。又高聲念佛之間、
如云心先を之時、止聲氣



 古事談 第四 勇士 138頁  (国史叢書)

古事談 第四 勇士 139頁  (国史叢書)

2016年6月3日金曜日

史料 その十七  北條九代記に見る天野遠景

改訂書籍収攬第五巻所収「北條九代記」は、近年、続史料大成に収録された「鎌倉年代記」と同系の書冊と考えられ、鎌倉幕府の吏僚が記した武家年表とでも称して佳いかと思う。
本書の内に、天野遠景の名を、三件見出した。
因みに、淺井了意の著した「北條九代記」は、仮名草子であり、内容を異にするものである。
合掌。


 北條九代記(改訂書籍収攬第五巻

北條九代記(改訂書籍収攬第五巻

北條九代記(改訂書籍収攬第五巻


参考
本ブログに於ける、天野藤内遠景候に関する既出史料を、以下、列挙する。
合掌。

史料 その八  天野遠景、款状を執権北条義時に致して恩賞を望む
http://kouranoyashiro.blogspot.jp/2016/03/blog-post_25.html

史料 その十  吾妻鏡に見る天野遠景
http://kouranoyashiro.blogspot.jp/2016/04/blog-post_21.html

史料 その十一  大日本史料に見る天野遠景
http://kouranoyashiro.blogspot.jp/2016/05/blog-post_1.html

史料 その十二  鎌倉遺文古文書編に見る天野遠景
http://kouranoyashiro.blogspot.jp/2016/05/blog-post.html

史料 その十四  古今著聞集に見る天野遠景
http://kouranoyashiro.blogspot.jp/2016/05/blog-post_30.html

史料 その十五  曽我物語に見る天野遠景
http://kouranoyashiro.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html

史料 その十六  平家物語に見る天野遠景
http://kouranoyashiro.blogspot.jp/2016/06/blog-post_84.html

2016年6月2日木曜日

史料 その十六  平家物語に見る天野遠景

平家物語、巻第十、藤戸。
この項を紐解くと、天野藤内遠景の名を見出すことが出来る。
合掌。


平家物語(日本古典全集刊行会1929)

 平家物語(日本古典全集刊行会1929)

 平家物語(日本古典全集刊行会1929)

 平家物語(日本古典全集刊行会1929)

 平家物語(日本古典全集刊行会1929)

 平家物語(日本古典全集刊行会1929)

平家物語(日本古典全集刊行会1929)

2016年6月1日水曜日

史料 その十五  曽我物語に見る天野遠景

日本古典全集所収「曾我物語」の巻第一、頼朝伊東の館にまします事。この項を紐解くと、天野藤内の名を見出すことが出来る。
合掌。


是れを間きて、三浦、鎌倉、土肥次郎、岡崎、本間、渋谷、糟屋、松田、土屋、曾我の
、思ひ思ひに出立ちける程に、近の侍聞きへ、「我も如何でかるべき、いざや参らん」とて、相撲には大庭が舎弟三郎、俣野五郎、こし十郎、山内瀧口太郎、同じく三郎、海老名源八、荻野五郎、駿河には竹下孫八、合澤禰五郎、吉河、船越、入江の人、伊豆には北條四郎、同じく三郎、天野藤内、狩野藤五を始として、宗徒の人五百人、伊豆の伊東へぞ参りける。



 曾我物語(日本古典全集刊行会1929)

 曾我物語(日本古典全集刊行会1929)

曾我物語(日本古典全集刊行会1929)



補遺
御橋悳言著作集三に収録された「曾我物語注解」では、以下のように記されている。優れた先達の学恩に心からの感謝を捧げる。
合掌。


これを間きて、三浦、鎌倉、土肥次郎、岡崎、本間、渋谷、糟屋、松田、土屋、曾我の
人々、思ひ思ひに出立ちける程に、近の侍聞きへ、「我もいかでかのがるべき、いざや参らん」とて、相撲には大庭が舎弟三郎、俣野五郎、こし十郎、山内瀧口太郎、同三郎、海老名源八、荻野五郎、駿河には竹下孫八、合澤禰五郎、吉河、船越、入江の人々、伊豆には北條四郎、同三郎、天野藤内、狩野藤五を始として、宗徒の人々五百人、伊豆の伊東へぞ参りける。


天野藤内 天野藤内遠景を云ふ。藤原憲九代の孫景光の子なり。景光伊豆田方郡天野にし、在名を以て氏となし、内人となりて天野藤内と云ふ。遠景又内舎人となれり