2016年5月11日水曜日

史料 その十三  岩清水文書に現れる本山庄の社家

大日本史料第七編之四、応永七年四月二十八日には、以下の綱文が記されている。

義満、讃岐守護細川満元をして、戸島三郎左衛門に給せし石清水八幡宮領同国本山荘公文職安堵状を召還し、同職を社家雑掌に渡付せしむ

この綱文は、岩清水文書(菊大路家文書)を元に作成されたもので、ここに、讃岐本山庄の社家が登場する。高良社に関心を持つ者にとって、特筆すべきことである
合掌。


 大日本古文書 家わけ  岩清水文書

大日本古文書 家わけ  岩清水文書



参考
綱文に記された外嶋氏は、豊島氏である。末裔かと思われる豊嶋孫太夫(留守居)、豊嶋五郎右衛門(明知行)の名が、生駒藩政文書(生駒家家臣分限ノ記、讃州御国中村切高惣帳)に見受けられる。孫太夫の知行所は三野郡勝間村にあった。
合掌。

生駒家家臣分限ノ記

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