2016年5月30日月曜日

史料 その十四  古今著聞集に見る天野遠景

高良社のご鎮座される三野郡本山庄の地頭、天野遠景は、大将家のきりものであった。斯様な有力者が、本山庄と係わっていたことは、特筆すべきことである。
以下、有朋堂書店刊行「古今著聞集」より、天野遠景の名が記された巻第九・武勇・第十二の項を画像データにて、ご紹介申し上げる。併せて、天野遠景の人となりを記した箇所を、テキスト化して添付する。
合掌。


古今著聞集 巻第九 武勇 第十二 

さる程に、右大将高麗国を攻めし時の追討使に、天野式部大夫遠景むかひけり。大将家のきりものにて、次官藤内といはれし藤内はこれなり。西国九国を知行の間、そのいきほいいかめし。



尚、297頁の鼇頭に、以下の句解が記されている。

きりもの - きれもの、権力盛なるもの











2016年5月26日木曜日

本ブログ関連記事について




本ブログは、史料の掲示に限っています。
関連の文章は、以下の二つのブログを、ご参照くださいませ。
合掌。


観音寺、四国、そして、日本
http://kanonji.blogspot.jp/

伝える会 日本史
http://tsutaerukai.blogspot.jp/

2016年5月11日水曜日

史料 その十三  岩清水文書に現れる本山庄の社家

大日本史料第七編之四、応永七年四月二十八日には、以下の綱文が記されている。

義満、讃岐守護細川満元をして、戸島三郎左衛門に給せし石清水八幡宮領同国本山荘公文職安堵状を召還し、同職を社家雑掌に渡付せしむ

この綱文は、岩清水文書(菊大路家文書)を元に作成されたもので、ここに、讃岐本山庄の社家が登場する。高良社に関心を持つ者にとって、特筆すべきことである
合掌。


 大日本古文書 家わけ  岩清水文書

大日本古文書 家わけ  岩清水文書



参考
綱文に記された外嶋氏は、豊島氏である。末裔かと思われる豊嶋孫太夫(留守居)、豊嶋五郎右衛門(明知行)の名が、生駒藩政文書(生駒家家臣分限ノ記、讃州御国中村切高惣帳)に見受けられる。孫太夫の知行所は三野郡勝間村にあった。
合掌。

生駒家家臣分限ノ記

2016年5月9日月曜日

史料 その十二  鎌倉遺文古文書編に見る天野遠景

吾妻鏡、大日本史料に続き、鎌倉遺文古文書編を紐解いてみた。そこには、天野遠景の名が記された数多くの文書が収録されていた。これより、第一巻所収文書から順に、通し番号、文書名、そして、天野遠景を示す名の表記を列挙することにする。
合掌。






鎌倉遺文 古文書編  第一巻

00056 源頼朝奏状 吾妻鏡文治二年二月廿八日條   天野藤内遠景

00119 大宰府守護所下文案 筑後上妻文書  藤原在判
00128 源頼朝書状 富田仙助氏所蔵文書   いつのとうないとをかけ
00179 大宰府守護所下文案 諫早家系事蹟集   藤原在判天野遠景
00234 源頼朝御教書 薩藩舊記雑録巻一   伊豆藤内
00236 源頼朝御教書案 島津家文書   伊豆藤内
00240 大宰府守護所下文案 豊後曾根崎文書  藤原在判
00262 源頼朝下文 島津家文書   藤内遠景
00273 大宰府政所下文案 豊前到津文書  藤原判
00318 大宰府守護所下文 肥前國分寺文書冩   藤原(花押影)  
00413 源頼朝御教書 薩藩舊記雑録巻二國分平二郎文書   伊豆藤内
00504 北條義時下文冩 正閏史料外編武久季督家藏   天野内舎人遠景
00512 源頼朝御教書案  豊前到津文書   伊豆藤内
00513 源頼朝御教書案  金澤文庫本豊前到津文書「對馬嶋」裏文書   伊豆藤内
00521 豊前往生院院主春宗申状案 肥後志賀文書  藤原在御判
00545 関東御教書案  宗像神社文書   藤内民部丞
00566 源頼朝御教書案  島津家文書   伊豆藤内



鎌倉遺文 古文書編  第二巻

00586 岩清水検校成清譲状  岩清水文書   遠景

00590 源頼朝御教書案 筑前宗像神社文書   伊豆藤内
00681 藤原某下文案 筑後上妻文書  散位藤原朝臣在判
00792 将軍源頼朝家政所下文案 豊前益永文書   藤原遠景
00793 藤原光定・重綱陳状 僧綱申文裏文書  遠景
00827 大神宮廰宣 神宮雑書  民部太夫天野遠景
00851 天野遠景請文案 河内金剛寺文書   散位藤原在判



鎌倉遺文 古文書編  第三巻

01738 源壹譲状案 肥前石志文書  本家藤内殿




鎌倉遺文 古文書編  第四巻

02577  尼覺阿傳領文書目録 河内金剛寺文書  民部大夫遠景



鎌倉遺文 古文書編  第五巻

03400 大隅守護北條朝時下知状 祢寝文書  遠景入道

03437 関東御教書 筑前宗像氏緒家文書  遠景朝臣
03470 肥前佐嘉領小地頭等申状案 肥前龍造寺文書  伊豆民部大夫



鎌倉遺文 古文書編  第十巻

06998 関東下知状案 筑後室園文書  藤内民部大夫遠景




鎌倉遺文 古文書編  第十一巻

07697 関東下知状案 薩摩高城村沿革史所収高城氏文書  藤内民部大夫遠景

08152 大神為貞申状案 豊前小山田文書  藤内民部大夫



鎌倉遺文 古文書編  第二十巻

14898 関東下知状案 肥後平川文書  伊豆藤内遠景



鎌倉遺文 古文書編  第二十二巻

16801 大神貞行申状案 豊前小山田文書  藤内民部大夫    



鎌倉遺文 古文書編  第三十六巻

28298  平河道照申状 肥後平川文書  伊豆藤内民部大夫遠景



鎌倉遺文 古文書編  第三十九巻

30748 鎭西下知状 島津伊作家文書  藤内民部遠景



鎌倉遺文 古文書編  第四十三巻(補遺第一巻)

50061 源頼朝下文状 肥前武雄鍋島家文書  伊豆藤内  



五月二十八日、
第一巻に00119・00240・00273・00521を、第二巻に00681を追加した。
今後も、順次、増補していく所存である。
よって、このスレッドは、未完である。
合掌。



付記
竹内理三氏の編纂になる大部の鎌倉遺文は、東京堂出版から刊行された。古文書編と索引編、そして補遺編を併せれば、五十冊を越える大変なお仕事である。竹内氏、そして、東京堂出版に、心からの敬意を表するものである。
合掌。

2016年5月1日日曜日

史料 その十一  大日本史料に見る天野遠景

大日本史料に散見される天野遠景に関する記事を纏めてみた。
以下、表記に関し、用例を挙げ、若干の説明を付す。
例えば、大日本史料第六編之三の七百十三頁に、天野藤内の記載がある。そして、引用史料は、天野系図である。亦、この項目は、七百十頁から七百十四頁にまで及んでいる。
こうしたことを、以下のように、略記した。
6-03-0713  天野藤内(天野系図) 0710-0714
合掌。






4-01-0155  天野藤内遠景(吾妻鏡) 0154-0155

4-01-0162  天野藤内遠景(吾妻鏡) 0162-0163

4-01-0191  藤原遠景(武田系図) 0188-0195

4-01-0450  藤内遠景(吾妻鏡) 0449-0450

4-01-0569  藤原 在判 天野遠景(諫早家系事跡集) 0567-0570

4-01-0713  藤原遠景・鎌倉民部蒸藤原遠景(吾妻鏡・歴代鎮西要略)

4-01-0840  鎮西守護人天野藤内遠景(吾妻鏡) 0838-0840



4-02-0046  天野藤内遠景(吾妻鏡)

4-02-0047  遠景(北條九代記)

4-02-0048  あま野の式部大夫遠景(古今著聞集)

4-02-0704  あま野の式部大夫遠景(古今著聞集) 0698-0706

4-02-0705  遠景(古今著聞集) 0698-0706



4-03-0375  内舎人藤原朝臣遠景・天野藤内左兵衛尉遠景(吾妻鏡) 0372-0380

4-03-0658  藤内民部丞殿(宗像文書内務省本)



4-04-0095  天野遠景(一代要記)

4-04-0096  伊豆藤内殿(宗像文書内務省本)

4-04-0244  遠景(岩清水八幡宮記録・営宮縁事抄). 0244-0245

4-04-0823 天野民部丞遠景(吾妻鏡) 0819-0826

4-04-0934 民部丞藤原(大友文書)

4-04-0935 天野民部蒸藤原遠景(歴代鎮西要略).



4-08-0583  遠景(古事談) 0583-0584



4-09-0711  天野民部入道蓮景俗名遠景(吾妻鏡)

4-09-0712  遠景(尊卑分脈藤原氏魚名孫・天野系図加賀)

4-09-0713  天野遠景(諸家系図纂九之三天野系図)

4-09-0714  遠景(諸系図二十二源・幕府諸家系譜卅一)

4-09-0715  天野民部蒸遠景(萩藩閥閲録七十三天野求馬系)

4-09-0716  天野藤内遠景(新編相模風土記稿八十九鎌倉郡二十一山之内庄扇ヶ谷村)

4-09-0717  天野遠景(増訂豆州志稿)



5-02-0429  散位藤原 0410-



5-03-0866  藤内遠景(島津國志) 0857-0878



5-26-0403  藤内民部大夫遠景(室園文書) 0402-0414

5-26-0410  藤内民部大夫遠景(筑後将士軍談) 0402-0414



5-27-0267  天野遠景 (武田系図). 0251-0275



6-03-0713  天野藤内(天野系図) 0710-0714